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阿弥陀寺(あみだじ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある真言宗御室派の寺院。山号は妙法山。本尊は阿弥陀如来。那智山の一角をなす妙法山の中腹にある。 == 歴史 == === 起源 === 寺伝では、大宝3年(702年)、唐の僧・蓮寂が法華三昧を修し、法華経を書写して山頂に埋経し、その上に釈迦如来を安置したのが今日の奥の院の基とされ、これを開創であるとする(『紀伊国名所図会』熊野篇)〔「角川日本地名大辞典」編纂委員会88 〕。近世紀州藩の編纂した地誌『紀伊続風土記』は、阿弥陀寺は空海の開基であるとし、平安初期の弘仁6年(815年)に妙法山を訪れ、釈迦如来を本尊として開創したとする。『紀伊続風土記』はその典拠として寛文年間の寺記を参照し、貴賎男女を択ばず納骨を受け入れた諸仏救世の道場であったこと、女人高野と号されたことを伝えている〔。しかし、この空海開基説は「貴賎男女を択ば」ないことが女人高野の連想を生み、そこから後世に付会されたものとするべきものであり、歴史的な開創年代は奈良時代ごろであると考えられている〔五来160 〕。 奈良時代の唱導説話集である『日本霊異記』に、法華持経者の永興禅師とその同行の禅師が熊野の山中で捨身行に臨み、骸骨のみの姿になっても、その舌のみは依然として生前と同様に法華経を誦し続けていたと伝えているが、この山とは那智山中の妙法山であると言われている〔五来160-161 〕。また、『本朝法華験記』に見える「奈智山応照法師」の伝は、応照という法師が火定による捨身入滅を果たしたとし、火定炉跡が阿弥陀寺境内に残されていることから、この「奈智山」は妙法山に比定される〔五来161 〕。こうした点から、妙法山に集って過酷な捨身行に勤しんでいた法華持経者によって阿弥陀寺は開かれたと考えられている〔豊島64-66 、五来160-161 〕。その後、鎌倉時代の弘安3年(1280年)に鷲峰山興国寺開山の法燈国師覚心の再興により(『元亨釈書』)浄土信仰の今日の阿弥陀寺が確立されただけでなく、念仏と納骨の山としたと見られており〔、史料上、阿弥陀寺の存在が確実なのはこの時期からである。 永正6年(1509年)、本堂から奥の院(浄土堂)への山道の途中に大師堂が建立された〔。慶長6年(1601年)の検地に際しては、新宮城主浅野氏より5石が寄進され、以後、代々にわたって続けられた。 明治時代に一時期衰えたが、1884年(明治17年)に再興された際に真言宗寺院に転じた〔。1981年(昭和56年)、火災により本堂が消失し、慶派作の本尊阿弥陀如来を含む多くの寺宝が失われた。現存する本堂と本尊は、1984年(昭和59年)に再建されたものである〔。2014年、高野山真言宗から真言宗御室派に転じた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿弥陀寺 (和歌山県那智勝浦町)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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